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大阪地方裁判所 昭和33年(わ)2035号 判決

被告人 中井源之助 外一名

主文

被告人中井源之助を罰金弐千円及び拘留二十九日に処する

被告人山本光春を懲役八月に処する

被告人山本に対し未決勾留日数中七拾日を右本刑に算入する

被告人中井が右罰金を完納しないときは同被告人を壱日弐百円の割合による期間労役場に留置する。

訴訟費用は被告人中井の負担とする。

理由

被告人中井源之助には何等の前科なく、被告人山本光春は昭和二十九年四月二十日(同年五月五日確定)大阪地方裁判所で覚せい剤取締法違反罪により懲役四月、二年間執行猶予(この猶予の言渡は昭和三十年十月二十三日取消確定)、昭和三十年六月三十日(同年七月十五日確定)大阪簡易裁判所で窃盗、覚せい剤取締法違反罪により懲役二年罰金五千円に、昭和三十二年八月六日(同月二十一日確定)大阪簡易裁判所で傷害罪により罰金三千円に、昭和三十二年十二月二十五日(昭和三十三年一月九日確定)大阪地方裁判所で傷害、暴行罪により懲役六月にそれぞれ処せられ、それぞれその刑の執行を受け終つたものであるが、

第一、被告人中井源之助はバー、ボーイ浜端悟(当時二十三才)と共に酒気を帯びて昭和三十三年七月五日午後十一時四十分頃大阪市北区高垣町一三四番地のタルト横丁を通行中、蛸焼き店「蛸壺」前附近で、同店内で被告人山本光春が知人の植村喜三郎にすしを渡して「兄貴すしでも食うてくれ今貰つたものや」と言い残して同店外に出てくるや、その「兄貴」と言うたことに因縁を附け、遂いに被告人中井は右浜端と共謀して、被告人中井は手拳で被告人山本の右頬を一発殴り浜端は同人の左襟首を掴んで暴行した。

第二、被告人山本光春は、右の如く被告人中井及び浜端から暴行を受けるや、憤慨して直ちに被告人山本がその附近タルト横丁南入口で店番をしていた鰻釣りの露店のバケツ内から鰻掻き用の切出しナイフ一挺(証第一号全長一八センチ刃渡り五センチ)を取つて引返し、その附近で被告人山本に掛つて来る右浜端の左上腹部を一突きしよつて同部位に全治に約一ヶ月を要する刺創を与えた。

第三、被告人中井源之助は、右の如く昭和三十三年七月五日午後十一時四十分頃大阪市北区高垣町一三四番地タルト横丁南入口附近で友人の浜端悟が被告人山本光春より切出しナイフで左上腹部を刺されるや、被告人山本に復しゆうするため、その附近の高垣町六五番地の「菊水」すし店の調理場から刺身庖丁一挺(証第二号刃渡り二二センチ)を貸してくれと言つて持ち出し、これをズボンのバンドに差し上衣で隠して携帯の上、相手の被告人山本光春を探していた際、同夜十一時五十分頃大阪市北区小松原町五番地路上で殺人予備の現行犯人として逮捕せられた。

(証拠)〈省略〉

(法令の適用)

被告人中井源之助に対し、刑法第二百八条、第六十条(罰金刑選択)、罰金等臨時措置法第二条第三条、軽犯罪法第一条第二号(拘留刑選択)、刑法第四十五条前段第五十三条第一項、第十八条。刑事訴訟法第百八十一条第一項本文。

被告人山本光春に対し刑法第二百四条(懲役刑選択)、第五十六条第五十七条第二十一条。

被告人中井源之助に対する公訴事実中

右浜端悟が被告人山本光春の為切出しナイフで左上腹部を刺され多量の出血がしているのを目撃し、憤激の余り、前同日時頃その仕返しをするため、同被告人を殺害することを決意し、同町六十五番地菊水寿司店こと馬場慈兵方調理場より前記タルト横丁附近まで刃渡り約十九糎の刺身庖丁一丁を持ち出した上、同横丁附近で同被告人を探し求め以て殺人の予備をなした。

との殺人予備罪の点については、

一、被告人中井が判示刺身庖丁を以て被告人山本光春に傷害を与えて復しゆうする意思の下に判示刺身庖丁を隠して携帯して山本を探していたことは、判示の通り証拠によつて認められるけれども、被告人中井に、被告人山本の生命を断つ意思即ち殺人の明確な犯意があつたと認めるに足る証拠はない。被告人中井の司法巡査、検事に対する各供述調書中には、被告人中井には右当時右山本殺害の意思があつた旨の供述記載が存するけれども、その記載が被告人中井の真意に基くものであるかは甚だ疑わしい。被告人中井の司法巡査、検事に供述した犯意の内容は、右刺身庖丁で「山本をいてしもてやる」というのであつたところ、右各取調官はこの被告人中井の表現と右刺身庖丁の兇器としての凄さから同被告人は山本に対し殺意を抱いていたと速断し、その偏見に捕われた結果、前示のように被告人中井が殺意を認めたかの如き同被告人の真意に反する供述記載となつたものと認められるのである。「いてしもてやる」という表現は、それ自体殺意を表明するものでないことは勿論、兇器たる判示刺身庖丁との関連において、同刺身庖丁を以て徹底的に傷害を加えてやるという意思を表明しているものとしても、なお、右山本の生命を断たんとする決意の発露であるとは速断してはならないのである。憤怒の余り相手に対し「殺してやる」との怒声を発した場合においてさえも、真の殺意(実現可能の殺意)が存在しない場合のあることは屡々経験されるところである。

刑法第二百一条の殺人予備罪における「殺人罪を犯す目的を以て」は明確な決意でなければならないのであつて、判示刺身庖丁は刃渡り二二センチの鋭利なものであるから、これを以て徹底的に傷害を加えれば被害者の生命が断たれる危険性が大きい、従つて場合によつては被害者は死に至るかも知れないと考えていたとしても、かかる心理状態は右殺人予備罪における「殺人罪を犯す目的を以て」に当るとは言えない。

公訴にかかる被告人中井の殺人予備の事実は認められないのである。

二、被告人中井の殺意を認めることができないとすれば、同被告人に対する右公訴事実につき証拠によつて認められる判示第三の事実は如何なる犯罪を構成するものであるか。

判示刺身庖丁(証第二号、刃渡二二センチ)は、社会通念上銃砲刀剣類等所持取締法第二条第二項の刀、剣、やり、なぎなた、あいくち、飛出しナイフの類型にあてはまる形態、実質を備えておらず、従つて同法上の刀剣類ということはできない。(最高裁判所昭和三十一年四月十日判決参照)また同法第二十二条のあいくちに類似する刃物であるか否かの点については、そのあいくちに類似する刃物とは、あいくちとその作り及びその性能または本来の用途において類似し、容易にこれを隠して携帯することができ、かつ社会通念上人の身体を損傷する用に供される危険性があるもの(最高裁判所昭和三十一年九月二十五日決定参照)であるところ、判示刺身庖丁はこれに該当する刃物とは認められない。従つて判示第三の事実は罪としては軽犯罪法第一条第二号(正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害し、又は身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯している者)に該当するに過ぎないのである。

右殺人予備罪と右軽犯罪法違反罪とは刑法第五十四条第一項前段の一所為数罪名の関係にあるから殺人予備罪の点につき特に無罪の言渡しをしない。

よつて主文の通り判決する。

(裁判官 塩田宇三郎)

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